君にいいことばかり起こりますように

西の人たちが大好きです

これまでの現場を振り返る②


自己満足な備忘録を記すお時間です。
夏休みという名のクズ製造月間により生活リズムが乱れ放題。眠れない夜の懐古厨。


《Hey!Say!2010TEN JUMP》
高校受験が終わって、やっと行けるぞー!ってルンルンだった。この時、これまでに無いほど席に恵まれて思い出がたくさん出来たコンサートであった。個人的にBESTのScoreのお披露目が凄く楽しみだった記憶がある。何故かは忘れた。デコ出し裕翔くんにギュンギュンしたのも懐かしい。

《続 テゴマスのあい❤︎》
高校で出来たジャニオタの友人の母(ややこしい)が大のまっすーファンで、チケット余ったからって連れて行ってもらった、初めての自ユニ以外のコンサート。予習も何もなしに行って、テゴマスの歌唱力に脱帽。帰り道にアルバムを買って帰る。テゴマスにハマる。(一瞬)

《SUMMARY 2010》
夏といえばサマリー。サマリーといえば水道橋。水道橋といえばTDC。
TDC大好き芸人。アリーナもバルコニーもどこだって楽しめちゃう。ジャニストもいつかここでお仕事しよう。
この年のサマリーは、近くに座ってた八乙女担のおねえさんがスタンバイするとめちゃんのお尻をうちわでパシパシ叩いたときのとめちゃんの顔が死ぬほど怖かったのがハイライトである。

《ARASHI 10-11 TOUR "Scene" 〜君と僕の見ている風景〜》
ミーハーで申し訳ない。完全に当時の嵐フィーバーに乗っかってしまった一人である。死ぬまでに嵐を肉眼で拝みたい一心。復活当選して舞い踊った。国立はデカかった。目の前で見たMonsterは息をするのも忘れたし、嵐は凄かった。ちなみに嵐では二宮さんが大好き。

《Hey!Say!JUMP 「ありがとう」〜世界のどこにいても〜 WINTER CONCERT 2010〜2011
まさか“10人”と、ここでお別れになるだなんて思いもしなかった。悲しかった。

《Hey!Say!JUMP New Year Concert 2012》
もうコンサート行かないつもりだったのに無理矢理誘われて高校の友人と5連したコンサート。矢印を持ってひたすらギャーギャー言ってた。若気の至り、恥ずかしい。SexyZoneが遊びに来て、地球を回す歌を歌っていた。初めて9人になったJUMPを見た。不思議とそこまで寂しさは感じなかったけれど、ああもういいかなって思ってしまった。


この後再び受験生となり現場から離れ、9人になったのを機にJUMPからも離れた。

オタ卒出来たと思ったのにな。







セクシー鬱が快調な話


ふとテレビをつけてチャンネルを回すと、忍たま乱太郎のオープニングテーマ。

ハッとした。ヤバいと思った。

ある時から聴かずとしていた大好きな懐かしい聡ちゃんの声がよく聴こえる。

聴けた。


いつからだろう、意図的に聴かないようになったのは。忘れた。忘れたいくらい苦しかったから。


事が風化するとはこういうことなのかもしれない。綺麗に言えば、客観してセクシー界隈を見つめられるようになったのかもしれない。客観視できるようにはなっても、大人に対する恨みや怨念はわたしの奥深くで根付いているけれど。

まあ、そんなことがあって。

聴いてみよっかな〜という軽いノリで、勉強しながら大好きだったSilver moonを再生してみたのである。冒頭のオルゴールで心がキラキラするのはいつ何度聴いても変わらなかった。

あ〜〜名曲だなぁ_| ̄|○  と、3回リピートしたことは置いておくとして。

聴けたのである。


気づかないうちに自分の中で処理できていたのかもしれない。

わたしは、セクシー鬱は慢性疾患だと思っていた。治ることがない、一生付き合っていかなくてはならない。そう思ってたのは聡マリちゃんへの罪業妄想だったのかな。

しかし、まだ3人の曲は聴けない。まだというか、未来永劫聴けないし見れない。

この夏、別々の場所にいるにも関わらずMCでは5人のことを話していると知って何とも遣る瀬無くなった。何で同じ場所にいれないんだよ。



とりあえず、SexyZoneの曲が聴けるようになったことは大きな進歩であるので、記録としてここに残しておこう。


重岡くんは少年漫画の主人公だと思う

我ながら、こんなことばかり考えているなんてクソほど暇だなと感心する。

一度はジャニオタ誰もが通る道(だと思っている)、漫画に出てくる登場人物に自担を当てはめる遊び。※重岡くんは自担ではない。

わたしだけかな。
わたしの場合、ありとあらゆる登場人物を自ユニの誰かに置き換えてしまう癖がある。まあこれが楽しい。


こんな記事を書くのは、小瀧望があまりに吉住渉さんの作品に出てきそうなスウィートフェイスをしているのが大きな理由である。彼のせいでわたしの投影芸が止まることを知らないのである。

まあ望くんの話は長くなるから今度にするとして、今回は重岡くんの話をする。

わたしは少女漫画も読むし、少年漫画もちょろっと読む。かなり偏った妄想であるので、悪しからず。

去年わたしがハマった漫画【曇天に笑う】を最近読み返していたら、「これ、しげおかくんだ…」とわたしの投影芸にスイッチが入ってしまったのである。

まず作品の紹介をサラッとする。
【曇天に笑う】  
唐々煙さんの明治維新以降の激動の時代を描いたお話。その頃の日本国内は士族反乱などで多くの犯罪者を抱えるようになり、監獄からの脱獄も後を絶たなかった。そこで政府は滋賀県の琵琶湖に浮かぶ絶対脱獄不可能な監獄「獄門処」を作った。護送の最終段階となる「橋渡し」を担当するのは湖畔の大津にある「曇神社」の曇三兄弟。

わたしが「これ、しげおかくんだ…」ってなったのは、この曇三兄弟の次男、曇空丸である。

《曇空丸》
空丸は三兄弟の真ん中で、真面目で努力家な16歳。自由な兄弟たちに振り回される苦労人で神経質。曇家の家事を一手に担い、ストーリーは空丸を中心に展開されてる?のかな。「兄のように強くなりたい」と切望している。

ザックリ…


重岡くんって少年漫画の主人公の瞳をしていると思う。静かにギラギラしてて、でもどこか純朴な感じ。それがわたしは空丸と重なる。以前まではSexyZoneの佐藤勝利くんと重ねていたのだが、あの筋肉質な感じから重岡くんのがピッタリだと思う。結構本気で思う。

わたしは幕末のお話や明治維新以降のお話に胸を打たれやすい芸人である。初めて読んだ時、恥ずかしながらリビングで号泣した。一気に読み終わって放心した。漫画を読んで泣いたなんて経験はこれが初めてであった。これは自信を持ってオススメする作品である。

実写化のお話、重岡くんに来ないかな〜、なんて軽率に考えてるオタクである。

中島裕翔くんが22歳になった


はやいものである。

わたしが彼を知ったのは2005年。『野ブタをプロデュース。』で亀梨くんの弟役を演じていたのが初見であった。当時12歳の裕翔くんは可愛い男の子で、それほどまでに興味を持たなかった。野ブタがやってた頃は専ら山ピーに夢中であった。初めて買ったCDが青春アミーゴだった。懐かしい。

それはさて置き、とにかく気にも留めていなかったのである。2007年、期間限定ユニットHey!Say!7ができるまでは。わずか2年後、再び現れた裕翔くんは14歳。まだ少しあどけなさが感じられたが、確実に少年へと成長していた。周りの影響もあってシングルを買い、その流れでHey!Say!JUMPを応援し始める運びとなった。

わたしは彼ほどに「爽やか」を地で行くアイドルは他にいないと思っている。時にドラムで男らしさを見せたり、時にピョンピョン跳ねてうさぎみたいだったり。たくさんの魅力があるが、ベースになっているのは何歳になっても変わらない爽やかさだと思う。永遠の少年だなんてどこかの雑誌で言われていた。本当にそうだと思う。

わたしは中島裕翔の「爽やかさ」が大好きである。

今は違うグループを軸に応援しているけど、JUMPも変わらず応援している。わたしのジャニオタ人生の原点。

いつか24時間テレビのパーソナリティーになればな、と思っていた高校生の頃が遥か昔に感じる。大きくなったなあ。嬉しいなあ。

お誕生日おめでとう!

22歳の裕翔くんに幸あれ。


これまでの現場を振り返る①


完全なる備忘録。

お暇な方だけ、お付き合い下さい。


《歌って踊けてJohnny's SUMMARY 2008》
デビュー時からキャーキャー言ってたけど、ジャニーズ初めての現場はサマリーだった。母が情報局の加入を積極的に手伝ってくれて、ハガキを用意してくれたのが懐かしい。青い振込用紙なるものを見たのはこの時が初めてである。ジャニオタって社会勉強だな、と思った中学2年生のわたし。当のサマリーは、なんと中島裕翔くん15歳のお誕生日にご当選。すっごく嬉しかった。お席はそんなに良くなかったし寧ろ後ろだったけど、知念くんの柔らかいおててを触ったことと関西から来てたばどの2人だけは鮮明に覚えている。というかそれしか記憶にない。中学生という経済的敗者だったので入れたのはその一回だけ。


《Hey!Say!JUMP-ing tour 2008-2009》
新年早々お年玉を握りしめ、初めての横浜アリーナ。電車を間違えて開演までにグッズ買えなかった。売り切れ続出だった。悲しかった。疲れた。人の多さに度肝を抜かれた。ジャニーズすげーなと思った。一度にこんな人間を集められるんだ、と洗礼を受けた。スクティーのコントでBI(当時は高畑くん、ケンティー、風磨くんの3人)がやっていた八中トリオがネズミの被り物かぶってた気がする。可愛かった。記憶に残ってるの、ジャンプじゃない…。

《Hey!Say!7 Spring Concert 2009
Hey!Say!MONKEYとかいうタイトルもついてなかったかな。忘れてしまった。受験生になるので暫くは現場に入れなくなる、ということでかなり気合を入れて臨んだ気がする。前回の失敗にならって4時に自宅から車で送ってもらった。懐かしい。ありがとう、叔父さん。Brave storyで始まった気がする。夢と魔法の国だと思った。初めて自担にファンサというものを頂いた思い出深いコンサート。GET‼︎を歌う7がカッコ良すぎて失神した。衣装も曲も彼らも何もかもカッコ良かった。今でも大好きな曲である。

《若さでアタック!第41回春の高校バレー
開会式だったと思う。バレー観戦という目的は一切持たずに始発で代々木に行ったクズである。今思うとかなり恥ずかしい。けど上には上がいた。…自分のことは棚に上げる芸。
知念くんのお立ち台の目の前の席で手拍子しながら聴いたガンバレッツゴーは忘れない。


コンサートの内容って意外と覚えてないものである。

あんな高い金払ってるのに。




担当という制度は誰が作ったんだ


担当は1人だ。

というのがわたしの中でのルールであった。過去形である。ルールであったはずなのである。

ジャニーズWEST沼にたどり着いてから担当迷子なのである。つい2つ程前の記事で、そろそろ担当迷子を脱せそうとか抜かしているようだ。誰か殴って欲しい。無理である、脱せない。

はまこた、どうしてくれよう。

わたしをジャニーズWEST沼に突き落としたのは小瀧望である。これは間違いない。しかしプカプカと沼を泳いでいるうちに、濵田崇裕にも心を鷲掴みにされてしまった。終いには、はまこたに身悶えする日々。嗚呼しあわせ!と感じつつも、わたしの中のわたしがやはり担当がいないと落ち着かないのである。しかし、決められない。助けてほしい。今までこんなことになったことがないわたしは自分に戸惑っている。

1人に絞らなくてもいいじゃ〜ん、とお供は言ってくれる。

絞りたいのである。しかし、絞れないのである。この緩々とした苦しみ、お分り頂けるだろうか。

小瀧望の主演舞台が発表された今、わたしは原作について調べたり、共演者さんについて調べたりと、あれ?わたしのぞむぅ担かな??と錯覚している。でもきっと違うのだと思う。濵田崇裕に会える現場があれば同じように奔走するのである。目に見える。確信を持って言える。それくらい、同じ熱量で2人が好きなのである。

この贅沢な悩みから解放されるのはまだまだ先になりそうである。

君達魅力あり過ぎるんだよ。


そろそろ担当決めたいんだよ。

みんな割とDD嫌いだよね。


もしモールスが始まってあっけらかんと小瀧担を名乗っていたら、その際は再び殴って欲しい。


ジャニーズWESTと出会うまでの話

 
中学1年生のときにHey!Say!JUMPというアーケードをくぐってから、わたしのジャニオタ人生が始まった。
 
長いことこんなところに居座る予定じゃなかっただろうに、気付けばわたしもハタチになっていた。
 
10年まではいかないわたしのジャニオタ遍歴のなかで、恐らく半分を占めていたのはHey!Say!JUMPである。振り返ってみればそうだなあ…と少々驚く。彼らに対して熱が冷めたのは遥か昔に感じるからだと思う。
 
じゃ、残り半分は誰を追っかけてたのかというと、まずSexyZone。高校2年の秋、突如として現れた5人組。ふまけんは知っていたものの、真ん中の美少年誰だよ、その横の田舎くさい男の子は誰、もう片っぽは?なに!?ハーフ?! (後にこの田舎くさいとしか感じなかった男の子に転がり落ちていくこととも知らず)
 
デビュー当時、こんな感じで失礼ながらこれっぽっちも興味もなかった…。こんなちっこい子どもにデビューさせて…くらいにしか思ってなかった。しかし、転機は突然やって来た。高校3年になり、現場に行く回数も減り自然の摂理でオタ卒したんだなと思っていた。それは予備校帰りでのこと。帰路にあるカラオケ館から流れるトンチキなキラキラソング。
 
「ヘローヘロー?メリークリスマス??」
 
ふと店内のモニターを見ると、サンタ衣装を身に纏った天使たちが舞い踊っている。
 
衝撃だった。毎日死んだ魚のような目で予備校に通うわたしに一筋の光が射したかのようだった。その足でTSUTAYAに直行し彼らのシングルをレンタルし漁った。眠っていたはずのオタイズムが覚醒してしまった。よりによって受験イヤーに。
 
こうしてわたしは俗に言うセクシーガールになった。(自分で言っててクソ恥ずかしい)
 
よく菊池担だったと話すと驚かれる。セクサマの時のビジュアルは壊滅的にカッコ良かった。風磨くんのrougeには度肝を抜かれた。巷ではパクリだの何だの言われていたが、それでも我が道を進む風磨くんに夢中であった。しかし、時折彼にむず痒い感情を抱くようになったのはいつからだろう。彼は終わらない思春期にあった。不器用な性格なんだろうとは思っていた。シンメであるケンティーとweb上で痴話喧嘩したり、収録中にスマホいじってみたり、ガム噛んでみたり。なんだかなぁ…と思っていたら、そんなのを余所にメキメキと成長するホープがいたことに気付く。
 
聡ちゃん。彼もまたSexyZoneの1人。1人のはず。今もなお続く3人と2人の問題に関しては後々お話ししたいと思う。
与えられたお仕事は確実にこなし、更に自分のものにする、ジャニーズに限らず芸能界で生きる人にしてみれば当たり前なのかもしれない。聡ちゃんはそれだけではない。直向きで前向きだ。今もそうなのかな? 元気に毎日お仕事してるのかな? きっとそうだと願いたい。いつ無くなるか分からない不安定な場所で、息をして踊って歌っている彼の姿に魅せられた人は少なくない。
 
 
わたしが初めて訪れた5人の現場はセクセカ横アリ公演だった。風磨くんの団扇を握ってたけど、目で追いかけてたのは紛れもなく聡ちゃんで。一緒に入ってくれた友人が、もう松島担じゃんと言ってくれたことによって、そこからわたしは松島担となることを決意する。
 
しかし、セクセカでの感動は束の間。3人体制の発表。箱推しであったわたしは地獄に突き落とされた。実習中に届いた局メは今でも忘れない。何でなの…という思いと、故郷と青春を置いて東京にやって来た聡マリが今どんな思いでいるのだろうと考えると死ぬほど心臓が痛かった。
 
何でこんなに不当な扱いを受けなければいけない? まだ幼い彼らに痛過ぎる程の劣等感を植え付ける意味は? 怒っても怒りきれない感情の捌け口は無かった。
 
埼玉で行われたコンサートは一生のトラウマである。
 
それでも、5人が帰ってきてくれることを信じて応援しようと思っていた。
3人シングルがリリースされるときに、デビューシングルを買ってみたり。ガムシャラに行って2人の頑張りを目に焼き付けたり。
 
どれもこれも彼らのためを思ってやっていたはずだったけれど、当の自分は生気を奪われているようで。何でこんな楽しくないことしてんだろ…と、自分のオタ活に疑問が浮かび始めた。娯楽のはずなのに何でこんな苦痛を伴ってるんだ?と。
 
セクシー界隈がお通夜になっている間、西のハイカーストお兄さん7人組がCDデビューした。
 
当時のわたしの羨望であり、後にわたしの希望となるジャニーズWEST
 
もうこんなに辛いならオタ卒してしまいたいな〜と思っている頃、楽しそうなズンドコ節が聞こえてきた。
いつからか指を咥えて隣国のズンドコパラダイスを眺めるようになっていた。
 
なんて楽しそうなんだろう。
 
少しずつジャニーズWESTの番組を追っかけるようになった。
 
彼らを知っていくと、なんとも汗臭く泥臭いまるで高校の運動部のような、でもキラッキラしている、上手く言葉で言い表せない。とにかくあの界隈に疲弊したわたしには輝いて見えた。
 
何より7人になるまでの色々がわたしの心臓を掴んで離さなかった。
 
ズンドコパラダイスの発売日、タワーレコードにわたしは居た。買っちゃった、という思いもあったが既に7人に夢中な自分がいることに気が付いた。楽しい方に流れよう、そう決めた。
 
掛け持ちが出来るほど要領のいい人間ではないわたしは凄く悩んだ。スパッと諦めきれないのは同情があったかもしれないし、まだ希望を持っていたいという願望からかもしれないし。この5人は次代の国民的グループになるかもしれない、と一時は過信していたことも起因していると思う。でも、彼らの今に耐えられる力は、もう私には残っていなかった。
 
SexyZoneとさよならすることにした。
 
5人のことはこれからも陰ながら応援したいと思っている。
 
幸せになって欲しい、聡ちゃんには特に。
 
SexyZoneという船に乗るという大人の決めたやり方が、いつか正解だったんだと自分達で導き出して欲しい。
 
 
逃げるようにやって来たズンドコパラダイスで得た楽しさに嘘は皆無である。後ろめたさを感じていたが、その先で見つけた楽しさは偽りのない幸せだ。両手でいっぱい抱きしめながら、必死にしがみついていきたい。そんな風に思えるオタ活が久しぶりで、ジャニーズWESTには感謝しかない。毎日楽しい、ありがとう。
 
ここに来て◯◯担!って言い切れないために(ほんとに7人が好きすぎてですね)、担降りしたのか曖昧になっているが、わたしは降りた。ジャニーズWESTに。
 
担当って制度、誰がつくったんだよほんと〜って思いながらもそろそろ担当迷子ちゃんから脱け出せそうである。その話はまた今度にしようかな。
 
ちゃんと文で残しておきたかったので、良かった! 
 
長い長い文章、お付き合いありがとうございました。